History

現在知られている時計ブランド名として、【ウルバン・ヤーゲンセン&ゾナー】が知られていますが、時計師としてのヤーゲンセン一族の歴史は幾代にも受け継がれています。 ヤーゲンセン一族は、1747年~1823年に活躍した「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と形容される時計師アブラアン・ルイ・ブレゲと世代的にも近い1745年~1811年に時計師として活躍した“ヤーゲン・ヤーゲンセン”が始まりであり、“ヤーゲン”の子どもたち6人の中のひとりが、1773年に同ブランドを創業した“ウルバン・ヤーゲンセン”にあたります。 ウルバンは当時のデンマーク国王“フレドリック6世”の目に止まり、マリンクロノメーターや懐中時計など王室御用達時計師【宮廷時計学者】として任命されました。 技術の伝承は息子だけに留まらず、その後も様々な株主の下、デンマークでウルバン・ヤーゲンセンの看板を掲げた時計店として経営は続けられていきました。

スイス人時計師“ペーター・ボームベルガー”氏が1978年から交渉を繰り返し、1985年に残っていた商標権や全ての資産を買い取り、デンマークからビエンヌへと工房を移し時計製造を再開させました。 直ぐに、Ref.1カレンダークロノグラフを発表。それに携わっていたのは、デレク・プラット氏や関口陽介氏が後に師事する時計師ゲルト・ベレント氏で、ウルバン・ヤーゲンセンを再建させるべく集まった知る人ぞ知る“スペシャルドリームチーム”でした。 デレク氏は後に、極小のコアクシャル脱進機を製作し供給するなど影の立役者としても知られている時計師。ゲルト氏は、時計学校卒業後ユリス・ナルダン、ロンジン、エベルと腕を磨き、ゼニスには長く勤続。後にジラール・ペルゴに勤務し1889年のパリ万博に出品された“ラ・エスメラルダ”の修理などに携わります。 ゲルト氏が亡くなる少し前、ゲルト氏が初めて買った切削工具を関口氏は譲り受けます。

現在(2021年1月現在)、関口氏が制作されているムーブメントは、彼がこよなく愛する"ヤーゲンセン・スタイル”や“ル・ロックルスタイル”と呼ばれている、1800年代にルクルト社が多数ブランドにエボーシュとして供給していたとされるもの。時計師ユール・ヤーゲンセンと一緒に数人の時計師が数年掛かりで一つの時計を作り上げていたという“JulesJurgensen"の懐中時計のムーブメントが基本となっています。

関口氏は、なぜ1800年代の古いスタイルのムーブメントを今作ろうとしたのか。

「一言では説明できません。ジュネーブ、ヴァレ・ド・ジュウ仕上げの素晴らしい機械もたくさんあります。一方、ヤーゲンセンのムーブメントで特に感じるところは、装飾も素晴らしいながら、とにかく堅牢であることでしょうか。私はヤーゲンセンの奥に感じる良い意味での無骨さ、飾り気のない信念のあるエボーシュの安心感、男性的力強さもあるムーブメントに、とても繊細に仕上げられた、か弱くも凛としたアンクルとガンキ車。さらにそれに支えられる巨大なテンプ。その対比、ギャップのある調和が私には魅力に感じます。今日もル・ロックルの時計学校のムーブメントを整備しましたが、全く同様な魅力があります。そのメリハリ、頑丈さと脆さ、オーケストラの低音に支えられた、たった一本のソロバイオリンの輝きの美しさ。それは正に重厚な受けに守られた、か細いながら精度が一番重要であるガンギ車、アンクルの輝きと同じであるように感じられます。」

ここまで愛情と思いを込めて作る時計師は決して多くはありません。このような気持ちを持って作り出される時計は、持つ者の心に響く時計になります。その流れを受け継ぐものとして"ユール・ヤーゲンセン”も喜んでいることでしょう。

(文/小柳和彦)

Watch shop KOYANAGi|Carillon.,Co.Ltd

JUVAL|JUVALHorlogerie

  •   Rue des Musees 26 2300 La Chaux de Fonds
  •   Phone + 41(0)32 534 27 63
  • E-Mailinfo@juval.ch